男の子らしさ、女の子らしさ

うちの子供達は年子の姉と弟である。

 


息子が2歳くらいの時、お姉ちゃんのワンピースを着たがったことがあった。

お姉ちゃんがいる男の子のあるあるだと思い、微笑ましい気持ちで家で着させて写真を撮ったりしていた。

 


もしその後、お化粧がしたいとかリカちゃん人形を好むなどしても別に本人の好きにしたらいいと思っていたが、仮面ライダーを好きになり、戦いごっこを好む典型的な男の子となった。

 


娘のほうはと言うと、3歳頃からスカートを嫌がり、4歳頃から髪を短くするのを好み、リカちゃん人形に見向きもせず、男の子とばかり遊ぶように。

その頃、「私も立っておしっこしたいな」なんて言うこともあって、おやおや本当に男の子になりたいのかしら?なんて思ったりして。

 


6歳には空手とサッカーを始め、恐竜が大好きになって、お友達にも「○○くん」と言われたり、知らない大人に「お兄ちゃん」なんて言われたりすることもあったけれど、本人は全然気にする様子もなく、むしろ「男の子に見えるよね〜!」なんて喜んでいたりした。

 


七五三の時期になって、弟と一緒の袴にしようかななんて6歳までは言っていたのに、直前でやっぱり着物にしようかなと言って自分で好きなデザインを選んでとっても素敵な写真が撮れた。

 


ランドセルもわりとすんなり女の子っぽい水色を選択し、頑なに男の子になりたいって感じではなさそうだぞ、と今のところは思う。

 


考えてみると、私も男の子の服とか靴のデザインのほうが好きだったり、短い髪を好んだり、アイドルやプリンセスに憧れもなく、ハートやリボンを好む女児でもなかったので、気持ちはわかるなーと。

 


私は小さい頃はバレエをやっていて、スカートも別に嫌いじゃないし、運動が得意なほうでもなく室内遊びが好きだったので、自分を女の子らしいと思っていたが、これは好みの問題で性別の問題じゃないんだと思う。

 

『女の子らしくない=女じゃない』とか『女の子らしくない=男になりたい』とかそういうことじゃないのだから、ありのままの自分らしい、でいいじゃないかと思うのだ。

 


それでも娘の「坊主にしたいな」にはやっぱり悩んでしまう。

まだ小学2年生なので、それを変だとかおかしいとか傷つくことを言われる可能性があるし、メイクをしたり坊主頭を染めたりして、おしゃれな女の子のファッションという感じに昇華できるわけでもない。

 


自分で責任を持てる時まで・・・

親として悩みは尽きないのだろう。

成長の遅れ?

1歳半検診に行った時、まだワンワンとマンマしか言えなかった娘は言葉の遅れを指摘された。

 


ちょうど同じ月齢のお友達がいて、比べると全然しゃべらんなとは思っていた。

 


でも娘は首が座るのも4ヶ月と遅ければ、寝返りも遅い、ハイハイも遅いし、歯が生えるのも8ヶ月、立つのも1歳2ヶ月、外で初めて歩いたのは1歳5ヶ月で全部がぜーんぶわりと遅かったので、言葉が遅いことも「まぁ、そんなもんかなー」と思っていた。

 


とりあえず2歳になったときに二語文が出ていなかったら連絡してください、と言われてその時は帰った。

 


そして2歳になった時、話せる言葉は増えていたけど、二語文は話せなかったので不安な気持ちというよりは真面目な性格ゆえ、保健師さんに連絡することにした。

 


そこから保健センターに行き、娘はおもちゃで遊ぶエリアで1人の職員さんに見守られ、私はもう1人の職員さんとお話しするという形で面談をした。

 


その際に言葉の遅れよりも私から離れずおもちゃで遊ぼうとしない娘を見て、集団生活に馴染めるような教室があるから行ってみない?と提案された。

 


今まで、よく寝てよく食べ、あまり癇癪を起こさず、外でも常に私の側から離れず、わりと大人しい娘を育てにくいと思ったことはなかったので、言葉の遅れで指摘されなかったら相談する機会もなかったと思う。

 


その後、保健センターでの母子参加の教室に通い始めると、娘が入口で靴も脱がずにジーッと観察して中に入りたがらない様子や頑なに参加しない様子などを見て、更に上の発達の教室に行くことを勧められた。

 


そこに通う頃には幼稚園のプレに通う3歳になっていて、少しずつ集団でも嫌がらずにマット運動や名前を呼ばれて返事をしたり、親から少し離れて1人で並んでかけっこをしたりすることが出来るようになっていた。

プレに通っている時期にはそこを卒業することができ、幼稚園にも最初の3ヶ月は泣いていたけど、その後は泣かずに2時間離れて活動ができるようになった。

 


幼稚園に無事入園してからは泣くことはなく登園出来て、楽しそうに通っていた。

2歳から3歳の時期に集団生活の練習が出来たのは本当にいい経験だったと思う。

 


3ヶ月健診の時、成長曲線の下からはみ出て「この子は両親の身長から見ても大きくはならないかもしれない」と言われた娘が(今思うと本当に失礼)小学生の今では後ろから3番目の身長に。

幼稚園で1回しか飛べなかった縄跳びが1年生になった途端前飛び100回跳べるように。

いつも何事も時間がかかる娘。

だけど決して諦めない娘。

 


だからこそ私は不安になったりしない。

これから先もそんな娘をただ信じるだけだ。

母乳ってこんなに大変なこと?

出産してもすぐに母親心が湧いてくるわけでもなく、本当に私の赤ちゃんなのかしら?なんて思いながらお世話が始まったわけだけれど(私だけ?)、最初につまずいたのは授乳だった。

 

ありがたいことに岩のように腫れ上がるほど母乳が作られる状態で、搾乳機にはお世話になった。

寝返りも打たないほど痛い胸はコンクリートに胸を擦り付けて出来た擦り傷のような熱を持ったヒリヒリとした痛みで搾乳機によって生かされているような状態。

でも母乳を外に出すと、また体が母乳を作り出そうとしてしまうのでどんどん短いスパンでパンパンに張ってしまう。

赤ちゃんに飲ませればいいじゃない?そう思うと思うし、実際に助産師さんにもそう言われた。

 

では、なにが問題だったかというと、赤ちゃんがうまく飲めないのである。

こんなに出ているのにちっとも咥えない!

そして咥えても吸えない!

そうとわかると泣き出す赤ちゃん。

仕方なく搾乳したものを哺乳瓶であげる。

 

そのサイクルにハマるともう哺乳瓶でしか飲まないのである。

そうこうしているうちに退院日になってしまった。

結局一度も母乳をあげられないままである。

 

そこから地獄の日々が始まる。

何度も直接吸ってもらおうと抱き方を変えたり、乳頭保護機を付けたり、頑張ってはみるものの失敗、搾乳したものをあげて、哺乳瓶を洗って、再度搾乳してというのを3時間置きにやるのである。

 

泣かれるたびに心が折れそうになり、細切れの睡眠時間に意識が遠のきそうになり、祖母に「ちゃんとおっぱいあげないと!」と言われて号泣し、母乳が出なかったら完全にミルクに切り替えられるのに・・・なんて自暴自棄になる日々。(母乳が出なくて悩んでる人には申し訳ないです)

 

1ヶ月半くらいそんな生活をしていたらある日急におっぱいが飲めるように!!!

初めはフットボール抱きで左胸だけ、そこからは徐々に両方、どんな抱き方でも!!!!!

諦めずに続けてよかったし、普通に授乳出来るようになってなんと楽になったことか。

 

2人目でわかったことだが、私の乳首は少し大きくて短いようなのだ。

助産師さんがサイズLの乳頭保護機を勧めてくれて2人目はすぐ直接あげられるようになった。

なんだよ、乳首に飲みやすいとか飲みにくいとかあるのかよ!なんて思った。

そこに乳首があれば赤ちゃんは飲めるはず!なんて軽い考えだった自分をぶん殴りたい。

そもそも出産前の乳首マッサージは母乳が出やすくするためだと思ってなんだかんだサボっていた。

乳首マッサージによって乳首を柔らかく伸びやすくすることで咥えやすくなるんだってことが全然わかってなかった。

 

もし母乳が出るのに赤ちゃんが飲んでくれないと悩んでるママがいたら、ここにも同じようにおっぱいに振り回された女がいたことをお伝えしたい。

ブログをはじめるにあたって

子供が産まれて社会から遠ざかり、大人と話す機会が減っていくにつれて、『文章を書きたい』と思い続けて数年。

 

やはり何かを始めるにはかなりの労力がいる。

それでもこのままでは書く機会を逃して忙しい日々を消費するだけの人生になってしまうと思い、書き始めることにした。

 

私は話すのがとても苦手である。

ここ最近は声に出して言葉を発する回路が本当にどうかしてるんじゃないかと思う時がある。

特に何かをしながら、考えながらだと本当に意味不明な返答をしていることがある。

その上声が小さい。

女性同士の上澄みだけの会話、コロコロ変わる話題、それらについていくなんて出来るはずもなく、ご察しの通りママ友なんぞは存在しない。

 

そんな私のようなママに寄り添ってくれるのがブログだった。

それとママリ。

同じような悩みを抱えてる人が毎分質問しているし、それに返答してくれるママもいる。

あ、なんだ、悩んでるのは私だけじゃないんだ。

ただそれだけで救われた。

 

このブログは子育て中に悩み、考え、同志を探し続けた日々を綴っていこうと思う。